常識は人の数だけある

僕は小さい頃から「常識がなってない」と言われてきました。

その原因は主に親にあります。
ウチの親はヒッピー文化が大盛況の頃にデキ婚した、なんともウス〜い人達でした。
親父は絵描き志望で美大受験のために法政で仮面浪人しながら絵ばっか描いてたそうです。
そんな親父が絵を諦めた理由のひとつに「オリジナリティ(個性)が無い」という点です。

死ぬほど個性が欲しかった親父は、「個性=変わってる」と勘違いして僕に変な名前をつけました。
そして教育方針も自由と個性を重視したものになり、一般常識の類いはあまり教わらず、「人と変わってる事が良い事だ」という感じの教育方針で育てられました。

幼児期の教育がそんなんだったので、気付いた時にはすでに遅しで、その後だいぶ苦労しました。

そんな訳で僕は一般常識があまりわからず、よく「自己中心的な人間だ」という評価を受けます。
好意的な人の場合、「変わってて面白い人だ」という感じです。

で、常識って何だ?って話です。
結婚して気付いたのですが、かなり細かい点も皆さん常識だと思っているという事です。

例えば、僕の家はバスタオルを2回くらい洗わずに乾かして使う家でした。

理由は
「風呂に入ってキレイになった体を拭くのだから、キレイなハズ」
というものです。

しかし、妻の家は違っていました。
1回使ったら必ず洗う家でした。

つまり、バスタオルをいつ洗うか?という事だけでも僕と妻の常識は違っていたのです!
これはとても興味深い発見で、それ意外にも食器のすすぎ具合とか細かい点で様々な違いがありました。

そこで気付いたのですが、僕は常識が無いのではなく少しズレているという事です。

常識とは、他人との共通認識です。
同じ認識を共有している人間が多い程、より一般的な常識となります。

つまり、育ってきた環境、受けてきた教育、周りの人間関係等によって、大きく常識はズレるという事です。

まったく同じ環境、同じ教育、同じ人間関係の人なんていません。
だから常識は人の数だけあるという事です。

 

実はこの常識に関しては、世界平和に大きく関係していると思っています。

こう話すと大げさに聞こえるかもしれませんが、世界平和に必須なのが貧困の撲滅と相互理解だと思っています。
この、相互理解に常識は大きく関わってきていると思うんです。

僕はよく「常識がなってない!」と怒られます。
同じ様に文化や人種の違いで、「あいつは常識がなってない!」など、常識の違いによって不快になったり、意識せず人を不快にさせている事があると思います。

でも、「ああ、そういう常識の人なんだ」と思うとそんなに腹は立たないと思うんですよね。

こういった事の最たる物がマナーだと思います。

最近知ったのですが、韓国と日本では食事のマナーが正反対だそうです。
日本では器を持たずに、顔を器に近づけて食べるのは「犬食い」と言って嫌われます。
しかし、韓国では器を持つのはマナー違反。顔を近づけて食べるのが正しいそうです。
だから食器が金属製なんですかね?熱くてどうやって持つのだろう?と思ってました。

でも、食事の仕方なんて世界平和に比べれば大した事ではないと思います。
同じ様に、宗教や思想も世界平和に比べれば大した事ではありません。そこら辺に寛容になれれば世界はもっと平和になると思います。

社会民主主義と自由民主主義の違いとか、国家の思想なんて大した事ではないんですよ。
もっと多くの世界中の人が共有している認識、「平和に暮らしたい」っていう常識に比べれば。

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